大人になりきれない大人の日記

大人になりきれない大人の日記

見たいものを見ているだけ

苦しい、人生は苦しい。そう本当に思っている。それはある意味正しい。何故ならば、苦しいものを見ようとしているから。例えば、パン屋に入り、あんぱんを見ていたとする。それはあんぱんである。この文章は正しい。あんぱんを見ようと決めてあんぱんを見ているのだから。

自分は苦しい辛い逃げたいと思っている、人生は苦しいと思っている。それは知らず知らず自ら苦しいことを見ようとしているから。仕事の辛い面、人間関係の嫌な面、そう言うものが嫌だだと考えているのに、実際にはそう言うものを見ようとしているのだ。

この理論を正しいとするなら、楽しいことを見ようとすれば人生楽しくなるはずだ。とすると、最初に明確にしておかなければいけないのは、自分にとって何が楽しいことなのかと言うこと。何が楽しいのだろう?幸せになりたいとするなら、何をもって幸せだと思えるのかをはっきりさせておくこと。

どうやらここも自分の問題点かもしれないな。何が楽しいことなのか。何が幸せなのか。すぐに答えられないのだ。楽しいって思うこと。なんだろうか、そんなことすら分からないとは。

自分で考えると言うことを放棄してしまっているのかもしれない。あまりにも、他人に合わせているうちに、自分を蔑ろにしてしまって、自分というものをわからなくなっているのでしょう。