死にたいは、楽になりたい
自分もそうだし、大概の人が思う事だろう。
死にたいと
しかし、いざそれを実行する人はそれほど多くはない。とはいえ、最近の様々な状況情報を見ると、いかに政府が自殺者の数を誤魔化しているんだなと実感する。
そもそも、死にたいという思いはあまりにも生きていることが苦しくつまらなく、なんの楽しみも見出せない。その結果、楽になりたいという置換の考えが浮かび、それが死なのだと思う。
要は、
死にたい=楽になりたい
という事だと思う。楽になる方法として死を選んでいる。そうすると、寝てる時間以外そんなことを考え、時にはつぶやき、意識に刷り込みがされる。それが無意識の中に根付き、更にその思いは大きくなる。
こんな事は、誰もがわかっている事だろう。みんな経験し、悩み、なぜと自問し、でもその楽になりたいあまり、自殺してしまう。
という事は、机上論かもしれないが、楽になる方法を他に求める事は出来ないのか?
他に楽になる方法は無いのだろうか?
ストレスから逃げる、たしかにそれも有効だろう。ただし、生きる事自体がストレスだとしたら?自分は今そう感じている部分が大きい。
しかし、その考え自体、正しいのか違っているのか正直わからない。生きてて楽しいと思える瞬間もないわけでは無い。
無意識層の強さは頭で考える意識層の比では無いくらい強い影響力をもつ。
無意識層へのアクセスが何かしらの改善のヒントになっているんだよな…。