しあわせの気付き
しあわせとは、なるものでも、作るものでも、待ってるものでもない。結局は今あるものを幸せだと気付けるかどうかだ。
歩ける、聞こえる、しゃべれる、見える、こういった今あたりまえに出来ていることに対し、しあわせなことなんだと思えるかどうか。
今自分はしあわせをあまり感じられていない。でも、明日、事故で死ぬならまだ良いが、車椅子生活になったとしたら、昨日までの自分がどれだけしあわせだったんだと思うことだろう。
酒が飲めて、食べたいもの食べて、暖かい布団で寝る。これだけでも世界の中ではかなりしあわせな生活を送っている部類なんだろう。
問題は、本心からそれらをしあわせだと思えるかどうか。有る事に対し無くなってからでは遅い。
苦しみがあるのは、幸せのありがたさに気づくためだと言う人もいる。
気付くちから。
これがしあわせになると言うことなのか。