ゆっくり生きよう
社会の、あるいは日本で暮らすルール、こんなものがあると思う。
憲法でもうたっている、労働・教育・納税の義務。これらを成すにはお金が必要だ。
なのでこの中で一番大きいのは労働になるだろう。生きるための必須条件とも言える。働かざる者食うべからず!
これを否定する事は現状不可能だ。お金は確かに大事だ。これがないといくら精神論を唱えたところではじまらない。理想論では生きていけないのだ。
しかし、いま日本はやり過ぎている。何故ここまで物質文化を高めなければならないのか?
もっと心を大切な生き方にそろそろシフトしていかないと本当に一握りの人しか満足できないような社会になっていまう。すでにそうなっているといっても過言ではないが。
自身の会社や、国の施策でもそうだが、働き方改革とやらを唱え始めてきた。
働き方改革、とても簡単な事だ。国民一斉にもっとスローに生きれば良いだけだ。例えば24時間営業の廃止だったり、終電の前倒し。そういった事を一斉にやれれば必然的に物質文化から脱却できる。要は、物を中心にシステムが構築され過ぎている。客への納期があるから徹夜、荷物を明日の午前中に届かなければならないから、夜通し高速を走る。
こう言うものは昭和の頃には考えられなかった。それが利便性を優先させ、金儲けに走りった。全ての業界がそうだからみんなその流れにのる。戦後、働け働けとみんなが一つの方向に向かってがむしゃらに働いてきた。その結果、確かに日本は物質的には豊かになったかのように映るが、もっと大事な事を捨ててきた。
少しオーバーな比較だが、先進国の人とアフリカの原住民等の文明と離れた暮らしをしている人の、しあわせ度はあまり変わらないらしい。
人はなんのためにこう言う社会を構築してきたのか?
もうやめようじゃないか、利便性の追求を。
別に荷物が翌日届かなくてもいいだろう。
自分の足で店に買いに行こう。
小さなことからはじめて、残業をしなくて済む社会を作ろう。
もっと心にゆとりのある生活の方が、結果的には生きやすくなる。
せかせかした生き方に慣れ過ぎている。便利な社会にはそれを支えている人々がいる。それが全ての国民だから、みんな疲弊している。
だから、全ての人が一斉にやらなければ意味がない。不可能な話だ。
もう疲れたんだ。少なくとも自分はそうだ。