大人になりきれない大人の日記

大人になりきれない大人の日記

何故生きるのだろう

ブッダが言った四苦、

「生老病死」

全ての人に当てはまる、生まれたからには必ず訪れる苦しみをまとめたもの。驚きは生まれる事が既に苦しみだという事だ。いきて行くことという事なのか。

他の老病死もどうやったって逃れられないものだ。逃れることのできないものからどう身を、こころを守れるだろうか?無理だろう。ならばどうするか?

これらを考え抜き、突き詰めたのがブッダなのだろうが、そのブッダが生涯をかけてたどり着いた境地に、はい、これが答えだよと示されて間の葛藤を抜きにして他人が得られるような答えなのだろうか?

今でも仏教関連の宗教活動家は親鸞やら誰それやらの残した英知を説いては、これが唯一の幸せであり、人の目指すべき姿ですと言わんばかりのことを示されている。たしかに読んでみるとけちのつけようが無い、素晴らしい考えだとは思う。しかし、それを自分に当てはめ、即実行に移せるかと問われたら、いやいやそれは無理ですよ。自分はやはり欲に支配されているし、欲とはすなわちキリが無いもの。これを手に入れれば次はこれ、という具合だ。

そもそも人は幸せになるために生まれてきたというのがまずは大前提だと思う。不幸になるために生まれてきたというのがもし正解ならば即自殺するのが楽で良いのではなかろうか?

ここでは、前者の幸せになるために生まれてきたということにしたい。

とするならば、キリのある幸せはいくら手に入れても本当の意味での幸せにはなり得ないはず。いくらお金を得ても、次から次えと欲しくなる。と、そこいらの指南書には書かれ説かれているが、とりあえず凡人である自分はそれでも良いからお金が欲しい。お金があればとりあえずサラリーマン卒業!

その後のことはその後考えよう。

てな具合にバカ道まっしぐらな訳だ。でもそれで良いのでは無いか?そもそもそんな大金を得られるわけもなく、セコセコとサラリーマンとして苦しみながら小銭を稼ぐしか無い現実があるのだ。そして老いていき、病で死んでいく。

ん〜、ダメだなこりゃ。どう考えてみても苦しみのスパイラルから逃れられない。

そんなことを考えている2018年1月2日。