大人になりきれない大人の日記

大人になりきれない大人の日記

もう2日、まだ2日

新年明けました。特にめでたい気持ちはないけれど。

子供の頃のような正月に対するワクワクした気持ちはもう一生味わえない。なんであんな気持ちになったんだろう。ひとつは、街が一変してたこと。ほとんどの店は閉まってた。なんか街が閑散としててすごく不思議な世界だった気がする。今はかなりの店が開いてて特に不便は感じない。

まー、何度も書いてるが、あの頃の幸福感は二度と味わえない。夢の中以外では。

そして、今現在。1月2日、これをどう判断するかはその人の今置かれてる状況次第だろう。毎日をある程度充実して過ごしている人ならば、そんなには苦痛に感じないだろう。

しかし、自分のように毎日を苦痛とともに消化しているものにとってはかなりきつい。明日は3日、つまり翌日から日常が始まるのだ。こんな事を考えている人、案外多いのでは?

社会人ならなおさらだと思う。嫌々する事に価値などない。あるのはやらなければいけないという思いだけ。生きるためという事に直結するから。

考えなくてもいい、或いは考えなければ、苦痛に襲われずにすむとわかっているのに。考えてしまうんだな、明日の夜のこと。

実際は多めに眠剤飲んでなるべく早く布団に入り、プレッシャーを少なくするであろう。

数年前なら、逆に考え、なるべく起きていた。寝たら朝が来るから。しかし、今は違う考えになった、身体も持たないし。

4日の朝、電車に飛び込む人増えるだろうか。

よく死ぬくらいなら逃げろというが、逃げるってどこへ?今の日本で、実際にそれやったらもう後には戻れないことがわかっているから、あの世に逃げる人が後を絶たないわけで。

今にも破裂しそうな心持ちになってきた。誰に本音を話すわけでもなく、話してどうなることでもないし、ただ、ここに書き記すことで少し発散できる。

自分は甘えて生きている。もっと苦しみながらも生きている人がいる事はわかっている。しかし、自分はましなんだと思えるのはほんの少しの時間だけだ。少ししたらまたいつもの気持ちになる。

この数日間、会社には行っていない。当然だ、休みなんだから。じゃあその間、幸せだったかというと、違う意味で苦痛だった。

何もやることがない。やりたいこともない。

結局は、生きていることが馬鹿らしいほど無駄に思えてくるわけだ。何をしていても何かしらの苦痛が襲ってくる。

自分が今生きているのは、何のためなんだろう。本当にこれが頭の中でぐるぐると回っている。

そういう、今なわけだ。