苦しみの意味
人が生きるということは苦しみを受け入れるということと等しいだろう。と言うことは、人は苦しむために生まれてきたと考えるのが自然なことか。
自分は無宗教者だ。しかし、よく言われる、人はこの世で修行を積むために生まれてきたと言う話、あれは結果として正しいのでは?
実際どうなのかは別として、結果論でいうと確かにその通りだろう。生きること=苦しいという事実をどう受け入れるのか?その答えは、修行だからという結論。至極真っ当というか、そう考えることが自然だろう。
問題は、それに対して人はどう行動するのかということだ。
その修行を正しく受け止め、苦しみの中から何かを得るような生き方をするのか、又は逃げるのか。
前者は様々な経験から何かを得よう、考えようとしながら生きていくこと。時には考え方を変えて生きていく柔軟性、そういうものも必要だろう。そして、自分を含めた大多数はおそらくどう逃げるかをかんがえるのでは?もしかしたら少数派なのか?
ま、逃げ方にもいくつかあろうが、一番簡単なのは、死を選ぶ。どう逃げたところで、金がなければこの社会では普通には生きていけない作りになっている。セーフティネットとかいう絵空事も言葉としてはあるようだが、実際は働かざるもの食うべからず、これだろう。
それが意味することは、もう言わずもがな。死ぬしかないじゃないか。
政府は自殺者を3万と言いたいようだがそんなのは誰が見たって嘘っぱちだ。実際はその何倍なのだろうか?
それだけこの日本で生きていくということは厳しく苦しいということだ。
さ、何を選びますか?