大人になりきれない大人の日記

大人になりきれない大人の日記

心の治療

今は、もちろん身体的な健康も大事だが、それと同じくらい心の健康がとても大事だと思う。場合によっては逆転させる必要もあるだろう。

昔、健全な体には健全な心が宿る、というようなキャッチコピーを聞いたような気がする。卵が先か鶏が先かみたいな話だが、まー、どちらも大事ではある。

しかし、最近の心に作用するストレッサーがとても増えたと思う。仕事はその親分的な存在だがそればかりではない。あまりにも情報が多すぎて必要のない事まではいってくる。さらに複雑化した人間関係。

昔はもっとシンプルに生きていたように思う。それが子供の特権と言ってしまえばそれまでだが。

心療内科に行くとよくわかる。とんでもない数の患者がいる。みんなどうにかストレスや不安から手っ取り早く楽になりたい。努力なしに助けてほしい。それを薬に求めようとして。

でも、飲んでみるとわかるが、薬なんて対して効果はない。本当の重傷者には効くのだろうが、自分のような中途半端な状況の人には気休め程度にしかならない。でも何か欲しいから通ってしまう。医者は特段話もせず、ルーティーンの会話で薬だけ出しておしまい。

でも、ある程度は、いや、少しくらいは、自分でストレスは減らせるのかもしれない。どうにもならない例えばパワハラや、セクハラのような明らかに先方に非があるような場合はこれはどうしようもない場合が多いので、助けを求めるなりして、問題解消に務めるのが良い。しかし、それ以外のものは拒否できる自分があれば可能なはずだ。拒否せず、引き受けたのならそれは自身の選択に他ならない。そう考えると少しは楽にならないだろうか?

ちゃんとした「自分基準」があれば、そして拒否できる自分があれば、不可能なことではないはずだ。そういう環境づくりをしていかないと、会社という渦に飲み込まれてしまう。そこまで献身的に会社なんかに自分を提供する必要は全くないと自分は思う。

どう拒否拒絶するかという技術論、方法論は別途考えていかなければならないが。

会社は基本、いざとなったらいくらでも社員を切る。そして代わりを探す。そんなものに人生をかける意味など全くないのだ。ならばこちらも出来るだけ会社を利用してやろうくらいの考え方で、各自の価値観で接していいのでは?

その価値観が破綻していた場合は、それなりの因果応報があるだろうが。