大人になりきれない大人の日記

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心療内科というところ

自分は心療内科に、もう随分通っている。いつも思うのはこの人たちはいちばん良い種類の医者になったなと思う。中には鬱をもらっちゃうタイプの先生もいて、それなりに厄介な部分もあるようだが、自分の関わった病院の先生は殆どが機械的に話を聞いて、薬を出すだけの存在だった。要は数をこなさなければいけないというわけだろうが。それこそかなりの患者が押し寄せているのだ。このこと事体が異常なことだとは思うが。(下世話な話だがそれなりに儲かるだろう)

正直自分もこのての病院の先生にどうにかしてもらえるとは全く思っていない。ただ薬さえもらえればそれでいいと考えている。人に何かしてもらって自分がどうにか変化できるとも思っていないから。

よくネットや本には、病院に行きなさいというような事が書かれているが、あれはどういう意味なんだろうか?先生がどうにかしてくれるという意味なのか?

外科の先生なら手術して病気を治療できるだろう。要は対処法がハッキリと確立されているものならば医者に行く意味がある。インフルエンザとかもそうだろう。

しかし、心の病はそうはいかない。先生に何か出来るわけでもなく、薬も只の対処療法で完治できる代物でもない。自分が変わらない限り何も進展しないだろうと、自分は考えている。

色々な心理療法があるにはあるが正直どこまで効果があるのか疑わしい。自分は唯一、森田療法だけ少しマシなのかなと思っている。簡単に言うと、気分は置いといてやるべきことをやれと言う話だ。まー、当たり前のことではあるが

行きていくと言うことはそう言うことだろう。それが数をこなしていくうちに自信になり、症状もゆっくりと回復に向かう。

しかし、いつも思うのは自身の考え方や捉え方が全てを決めている思うのだ。それは何に起因しているか?育ってきた環境、つまりは親の育て方の問題が最大の原因。あとは持って生まれた資質というとこか。

結局は運で全てが片付く。運とは持って生まれた自分の生きていくレールみたいなもの。人によってはそのレールを自分で路線変更できる人もいるだろうが、なかなか難しいだろう。時が経てば経つほどに。

こう書くとなんか身もふたもないように感じるが、実際そうなのではなかろうか?と自分は思っている。

では、その持って生まれた運は何で決まるのか?只の偶然なのか、または何かの必然性があったのか?

ここで宗教の登場だろう。必然と考える人は宗教を持ち出さないと理由がつかなくなる。また、自分のようにただの偶然と考えるものは、無宗教者で、苦しんで生きている。どちらが楽かはよくわからないし、正解がどちらかなのかもわからない。

全く話は変わるが、今後はそういった人たちのケアを出来る人、心理療法士みたいな資格を取って、経験を積み、独り立ちして開業みたいな人が増えてくるのではと思う。

いや、いろんな方向に話が逸れたな。

ここでおしまい。