大人になりきれない大人の日記

大人になりきれない大人の日記

年の瀬

もうすぐ2017年が終わるわけだが、今年も何も特にないよく言えば平穏無事、悪く言うと無意味な生を過ごした。特に目標があったわけでもないのだから、これで良しとするところなのかもしれない。すくなくとも生きるという最低ミッションはクリアした事にはなるだろう。

しかし、世の中にはその生きるというミッションを自分ではどうにもならない次元で破壊されて死んでいく人たちの方がもしかしたら多いのかもしれない。自分がただのうのうと生を無駄にしている間に、逆に無駄に死んでしまっている存在があるのだ。

自分は無神論者だと思っている。もし神や仏などの人智を超えた高い次元の存在が仮に存在していたとしても、実際問題として気がつく範囲での関わりが無いのなら、それはいないのとたいして変わりは無いと思う。街角で信者勧誘をしている人たちが居るが、聞いてみたい。

神は本当にいると思いますか?それをどう証明できるのですか?

たいていの人はこう言うだろう。神は存在します。信じる人には見えるのです。信じる者だけが救われるのです。だからあなたも信じましょう。そしてお布施しましょうと。

もしかしたら、そういうものは存在するのかもしれないが、布教活動をしている人は全く信用できない。あの人たちは仮に善人だとしよう。悪人ならそれはただの詐欺師なのだからどうでもいい。むしろ逆に人間らしいかもしれない。

その善人は自分が救われたのだからあなたも救いたい。だから入信してお布施して会を維持してみんなを救いましょうと思っているのかもしれない。

大きなお世話だ!

少なくとも、日本では宗教信仰の自由は認められてはいる。やりたい人はやれば良い。別にどうとも思わないし、こちらに迷惑さえかけなければどうぞお好きにだ。

これは自分の考え方だが、仮に神の存在が本当だったとしても、人間にはそれを上手く扱うことは出来ない。結局は争いの種にしかならないし、誰も救えない、その当人の自己満足しか得られない。

宗教を考えると、自分の場合は「死」を考えざるをえない。要は死後の世界があるのかないのか。無いのなら宗教など意味が無いしどうでも良い。しかし、もし神がいてその信者のいってることが正しいとするならば、少し事情が変わってくる。

自分は死後の世界など無いと考えているし、無いと思いたいと考えている。理由は死んでまで魂の活動などまっぴらごめんだからだ。死んだら「無」であり上手くいえないが静かに眠りたい。

上手くまとめられないが、もし神が存在するのならこんな世の中にはなっていないだろうし、そもそも人間の存在がこの世の中で一番の「悪」だと思う。人間ほど無意味で害のある存在は無いだろう。もし神がいて何らかの理由で人間を創造したのなら、その理由は「魂の修行」。だから神は何も手をださないし、高見の見物をしている。それならばまだ理解出来る。

という事は、神がいようがいまいが、人の世は何も変わらないということ。人のエゴで動いていき、そもそも人は「悪」なので、将来的には人自らが人間を死滅させることだろう。環境破壊、戦争、そのどちらかで。