病院の待合室
ここは将来の自分の鏡なのだろうか。
まさに老人のたまり場のような、非難を承知でいわせて貰えば、何のために生き続ける努力をしてるのかを問いたくなる。
そこまでしてなにになるのか?
今まで自分には想像もつかないような苦労をしてきただろう。そういう世代のはずだ。
もしかしたら、だからこそ生きることに執着を持っているのかもしれない。自分とは全く違う価値観で生きている人たちだろうから。
しかし、自分にはあぁなりたくないという、恐怖しか感じなかった。
よたよた歩いて、介護が必要で、それでも生き続けることに何を見出せるのだろう?
人生から逃げないということか?
たしかに、自分は苦から逃げたいという話をしている。老という恐怖から逃げたいと思っている。
今でさえ逃げ出したいのに、将来の事など恐怖以外思いつかない。逃げるとは何か?
やはり、安楽死になるのかな。
日本は今後どう考えても経済的に破綻する。原因のひとつは介護保健の枯渇。ならば、例えば必要介護レベルに応じ、安楽死を選べるような制度を作ってもいいのではないだろうか?
ていのいい姥捨山でもいいと思う。
いかがなものだろうか?