大人になりきれない大人の日記

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安楽死は自殺幇助?

本来は別々の目的であるはずではあるが、結局はほぼイコールになる気がする。少なくとも自分にとってはイコールだ。

散々発言しているが、生きる自由があるなら、本人の意思さえはっきりしているならば、安楽死という死を選択する自由もあって良いというのが自分の考えだ。

しかし、それは自殺とほとんど変わりがない。それを倫理的にどうするのか?

個人的にはそんなものどーでもいいだろうと思う。なぜなら、生きる意志がないのだからそれ以上生きるというのは苦しい事だからだ。その苦しさを乗り越え生きていくことが生きるという事だ、というような精神論もあるようだが、申し訳ないがそんなもの知るか!なのだ。

もしなんらかの未知なる意志が働き、人が生まれたとするならば、自殺も安楽死も大罪になるのかもしれないが、自分は死んだら無であると考えている。でなければ本当に意味がない。唯一そこが多少気がかりではあるが。

だが、人間である以上、死後のことは死ななければわからないだろう。

しかし、何故こんなにも生きるということは楽しくないのだろうか?もう少し充実感があればまだ生きるための行動も起こせるのに。生きて生じる感情はただただ虚しい気持ちと、無力感、虚無感なのだ。