大人になりきれない大人の日記

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安楽死について

最近この考え方が少数派なのかもしれないが徐々に認知されてきていると思う。可能ならば日本でも一定条件を満たしていれば是非認めてもらいたいと願っている。

問題はその条件だろう。例えば海外では不治の病での苦しみから逃れる目的、これが主流のようだ。

何かで読んだが、精神疾患的なものもそこに含まれた事があるとか。

ただ、日本での条件もそれらと同等にしてしまうと、普通の見かけ上健常者は無理ということになってしまう。それでは本来の意味から逸脱してしまう。本来の意味とは、生きていく権利があるならば、死ぬ権利があっても良いだろうという事。なにも全ての人が生きたくて生きているわけではないのだ。生きることに絶望して自殺を選択するくらいなら、死ぬ権利の保証があっても良いのではということだ。

自分の場合ではあるが、もう経験しておきたいことはない。あとは正直死の瞬間を迎えるのを待つのみでそのために生きているようなものだ。惰性の状態で生きていて、楽しいというよりも、もう十分生きた。その感覚なのだ。かといって自殺というのも抵抗がある。そこで安楽死

条件としては、年齢あたりがやはり目安なのか。成人、社会人を経験した30歳、そのあたりか。その辺りは議論の余地があろうが、まずは安楽死ということの必要性の認識がもっと認知されて良いと思う。否定する人もいることは理解できるが、そういう人はその選択をしなければ良いだけだろう。なんなら、臓器提供によって生きたい人の命が救われるというのならばいくらでも提供する。その方が合理的ではなかろうか?

日本という国はもうかなり先進国の中では崩壊していると思う。これだけ自殺者がいる先進国はない。それだけ生きづらい国なのだ。

不平等、格差社会、一度でもレールから外れたら待っているのは極貧だ。幸い自分はお金には現状困ってはいないが、それを維持する努力をしてまで生きている価値を見出せないのだ。もう現状を維持することにほとほと疲れた。これ以上労働をしてまで生きたいとは思えないのだ。ただ安らかに眠りたいのだ。