大人になりきれない大人の日記

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他者との比較

人は、いや、自分はどうしても他者との比較をしてしまう。そこから生まれてくる感情は、自己嫌悪の場合が多い。そもそも、他者との比較をする意味があるのだろうか?

比較の結果、気持ちが落ち着く場合もなくはない。それは自分の方が優れていると思えた時だ。しかし、そのことになんの意味があるのだろう。全ては自己完結しており、その他者にとってみたら、しらねーよ、だろう。

他者との比較をすれば、そりゃ違いは発見されるし、大概は自己嫌悪を生む。そんな自傷行為に意味はないどころか、まさに無駄な行為であり、やらない方がいいのは明らかだろう。

では、なぜ人との比較をしてしまうのだろうか?

それはそういう教育を受けてきたからかもしれない。学校という場所は他者とのテストの点数で全てを競い合う場所と言っていいだろう。その結果いい大学やらいい就職やらのふるいにかけられる場所だ。その結果、社会に出てもその比較を継続してしまう。

他者との比較は全てが悪いとは思わないが、大抵はいい結果を生まないものだ。何故なら、比較する方法が自分にとって不利な方法で比較してしまうからだ。

比較するとき、大概は自分に不利な条件で比較している。落ち込んで当然だ。自分のことは大体把握できているが、他人の事は結局いい面しか見えてこない。結果は明らかだろう。

他者との比較を今すぐやめるというのは、現実問題かなり難しい。ならどうするか?

ありきたりな方法しか見つからない。比較結果にこだわらない。ある一点ではおとってみえるかもしれないが、その他者の知らない部分との比較をしたら、自分の方が優れているかもしれないのだから。

結局は気にしない。それしかないのか。

自分は自分。