卵が先か鶏が先か
嫌なことを考えるから、探すから気分が落ち込むのか、それとも、気分が落ち込むから、嫌なことを考えるのか。
感情は思考次第というから、どう考えるか、または起きた事象に対しどう捉えるかで、感情が変わる?
とすると、自身の認知の問題ということになるわけか。
一般には認知は矯正可能範囲と捉えられている。考え方次第で思考は変えられる。よく言われてることだが、コップの飲み物残りの半分をどう思うかということ。もう半分と捉えるか、まだ半分も残ってると捉えるか。
しかしだ、こじつけかもしれないがコップの飲み物と、現実の世界の問題は違う。要は何が対象かで考え方は変わるということ。対象が軽いものならば楽天的に考えられるが、重い責任がからむものは悲観的に考えてしまう。全てを同じようには比較できないわけだ。そして仕事のことは大概は重い責任がつきまとう。
この責任とは何か?サラリーマンならよほどの事でない限り解雇にはならない。せいぜい始末書とか、降格か。
しかし、自分はそこに人の目を気にしてしまうから責任が何倍にも重くなる。
良い意味で開き直る事が必要なのか。やることやったら、あとは野となれ山となれ。ただ、そのやることをやるだけの時間がとれないことに矛盾と不条理を感じるのだ。人手が足りない。
サラリーマンやってれば誰でも思うことか?