しなければならない
生まれたから生きる、おそらく普通のことだろう。生まれたことに意味を見出す必要はない。あえて言うなら、親の都合だけだ。こちらの意志はないと考える。スピリチュアル的には違う解釈もあるようだが、自分には分からない。
この生まれたから生きると言うことが、こちらサイドから言わせると、非常に辛いことだ。
特に社会人になってからの苦悩といったら。
その苦悩のほとんどは人間関係といって良いだろう。上司部下、お客、更には他人の目もそうだ。ほとんどの人はお金のために働きストレスを溜め、苦しみもがいている。仮に仕事内容が許容範囲だったとしても、苦しみはついてくるだろう。
何故この苦しみは生じるのか?
『〜しなければならない』、このフレーズは働いていると必ず湧いてくる思い。これがとても辛さを増している。この考えが湧くということは、実際はやりたくないことをやらなからばならないということだろう。この連続がストレスを生みとても辛くなる。
仕事はそういうことをする場所、その通りだ。
その対価としてお金を得ている。
しかし、この考え方にとりつかれると、自分の意思ではない、どうにもできない、逃げることができない、でもそれをこなさないといけないということになる。まさにストレスそのものだ。
やりたくない、したくない、でも…
しなければならないのだ。
やらなければならないのだ。
演じきらなければならないのだ。
それが多分、生きるということなんだ。
だから、生きることは辛く苦しいのだ。