大人になりきれない大人の日記

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働く意味

働く意味、これは自分の中で常に頭の片隅に居続ける問題だ。

自分ではなかなか答えが見つからず、よく検索をかけては様々な人の考え方を読んでいる。

その中にこんなような内容があった。

働く目的のひとつはお金。お金がなければ食べ物も買えないし、そもそも生きていけないから。

これには何の反論もない。その通りだと思う。

そして、もうひとつ理由があると。それは人の役に立つためだそうだ。人の役に立てばお金は後からついてくると。

例えば、食堂を営んでいて、お客がカレーライスを食べたいと注文したとする。当然お店はそれを提供し、お客もそれをもし美味しく食べてくれてお金を払ってくれたなら、上記のことは成り立つ。

しかし、その店主は親の店をただ継いだだけで、特段その仕事には興味はなく、ただそれこそ生きていくために得た技能だとするならば、果たしてこの経営者は幸せなのだろうか?

仕事の意味にはもうひとつあると思うのだ。お金と、人のため、それとそれが自分のやりたいことで成り立っているかということだ。やりたくもないことでそのサイクルを回していたとしたらそれはどうなのだろうか?

仕事があるということは、その成果物なり、情報なりをお金で買ってくれる客がいるということで、その意味では人のためになっていると言えるのだろう。

しかし、その仕事が自分にとって位置付けが問題なのだ。

簡単に言うと、やりたいことをやっているのか、流された結果なのかと言うこと。

そして、自分は正直言って、流されてきた結果が今なのだ。かと言って何かやりたいことがあるわけでもない。ここが一番の問題だと認識している。

やりたいことがない≒何もやりたくない

これはどう処理すれば良いだろうか。みんなそんなにやりたいと思うことがあるのだろうか?結局は何となく気がついたら今がある、そんなもんなんじゃないのか?仕事なんてものは。

何もやりたいことがないという、生き方。

やりたいことって何だろうか。